ロートレック荘事件を読んだ

ネタバレです。

2日掛けて読んだ。メタ・ミステリーなので大方叙述だろうと思って検討を付けて読んだが、解答編まで見抜けなかった。勘が悪い。
解答編で書かれていることを照らし合わせた時、章の内部で視点が変わってる?と思いよく読んだがそんなことはなかった。理解力が低い。
十九章のオチはまあ綺麗に書いているなという印象で、悪く言えば小説にありがちな悲劇だった。(そこでさくっとまとめられるのが小説の技術なんだろうなあと思ったりもした。)

読んだ後すぐネットで感想を幾つか読んで気になる部分が合った。人の持つ偏見を使うだとか固定観念や常識を突きつけるというような感想が多く目につく。例えばこの感想
そりゃあ叙述トリックなんだから"語っているのは同一人物である"とか"名前が違う人は別人である"とか"二人が語っているのはお互いのことである"とか思わせておいて(固定観念・常識)、別人が交互に語っていたり、同じ人の別名だったり、全く違う人のことを語っていたなんてよくあることだ(私は騙されたけど)。でも偏見まで言うか?と腑に落ちなかった。腑に落ちないなりに、筒井康隆の書く主人公はモテない魅力のない男ばかりなのかー4冊目(本作以外は文学部唯野教授3冊)だから知らなかったわーなどと納得していたが、この感想を読んで何が言いたいのかがやっと分かった。侏儒に対する偏見の事のようだ。
読んでいる途中、"おれ"は絵も描けてユーモアのあるエッセイも書ける人間なんだから映画は失敗したかも知れないけどそりゃモテるんじゃない?と思っていて、侏儒なのにモテる?という違和感は一切覚えなかった。牧野寛子との性行為の場面も、おっおねショタじゃん(実際は男の方が歳上なのだが)、なんて思ってさらっと読んでいた。とここまで書いてなんだか自分がポリティカルコレクトな人間であることを宣言するような記事になってしまって、数年ぶりに書いたダイアリーがこんなのでいいのかと思い始めたがまあいいや。自分にない偏見のある人間の偏見も理解できれば便利そうですよね。
この小説が自分の差別意識を浮き彫りにする作品なら私にはハマらなかったし、それが(最後のページの高身長を求める最近の女性への言及も考えると)重要な部分っぽいので、残念でしたという話です。

まあ最近の女性と言っても25年前の作品だし(三高という言葉が流行ってすぐ後の小説なんですね)、24歳の魅力的な女性が三人とも推定処女(内1人は確定)という描写も昔は身持ちが固いというか婚前交渉なんてもってのほかという雰囲気だったのか?と時代を感じさせるし、ミステリだと思わせておいてミステリとして終わってしまい残念でした時代が変われば読者の認識も変わるんだよという感じでした。(そうか?)(しっかりと読んでないから一人称のモテないポイントを読み逃しただけでは?)(終わり)